45歳で海外起業に挑戦 in 台湾 no:3
四平街ママとの商売学習の日々
女房が台湾人というアドバンテージはあったにせよ、日本での商売経験が一切ない私たちが異国の地台湾の首都台北でこれまでブティックをやってこれたのは彼女のおかげだと思う。
四平街ママのところへ通い始めたのはいつ頃からだろう。朝市での商売に見切りをつけ、景美に店を持ち、中国語学校にも行かなくなった、1年過ぎぐらいのころだろうか。
そのころ私達が住んでいた女房の実家のある南港は台北の東部に位置し、四平街はほぼ台北の中央で、私達の店のある景美は南部だった。どのくらいの頻度で四平街ママの店に立ち寄ったかはもう覚えていないが、306というバスで南京東路を通り南京松江路口で下車したらすぐ近くだった。
何回も通ううちにだんだんと営業状況を話してくれた。近所の会社に勤める客の出社前の時間を狙って朝は8時ごろにオープンしていること。台湾の会社は日本ほど残業が多くないので夜は7時には閉店すること。
台北駅の裏のほうにある問屋で仕入れていること。メインの問屋とは緊密な関係を保ち、日本仕入れから帰ってきたときは1番に電話をもらい、ほかの店が買い付けに来る前に良い商品はすべて押さえてしまうこと。そうすることによって台北の他の店にはない特別な服を自分の売りたい値段で売れること。
「特徴があるものは高くても売れる」
このことは高い服が怖くて仕入れられずにいた私達にはとても重要な情報だった。