damos blog

45歳からの海外起業奮闘記 in 台湾

45歳で海外起業に挑戦 in 台灣 改編no:8

 

f:id:mosda:20210208172639j:plain

仕入れ旅行

「四平街ママとの商売学習の日々」

 

仕入れー台灣から日本へ」

  四平街ママのところへ何度も通ううち次第に打ち解けて行き、彼女は服のことだけでなく仕入れについて、台北駅後ろ、市民大道の向こうに日本の女性服卸の店が集まる場所があり、そこで長年培った信用で後払いで日本から届いたばかりのスペシャルな服を誰よりも早く仕入れられるのだと教えてくれた。

「四平街ママの辛い過去」

 しかしそれは後のことで、この商売を始めた頃は知り合いに連れられ日本へ行き、ひどい事にホテルを出て仕入れに向かう途中で急にみんないなくなり、右も左もわからぬ外国の街中に一人放り出された事もあったそうだ。
 
 四平街ママのこのいじめの例はひどすぎるかもしれない。だが日本人の私達の想像以上に台湾人が日本へ仕入れに来るのはただでさえハードルが高いのだ。今はネットが発達し居ながらにして外国のホテルの予約が出来る時代だが、以前はそうではなかった。その代り「日本仕入れ指南」みたいなガイドブックがあったのを本屋で見たことがある。私はもちろんそんな本を参考にする必要はなかった。
 
 台湾の女性が一人で大きな空の旅行鞄とガイドブックを携え日本へ仕入れに行くことを想像してみよう。

 実は日本へ行く前にやらなければならないことがある。日本人の場合もたぶん同じだと思うが、日本の馬喰町の問屋街で仕入れするには開店証明書というものが必要で、従って台北市長のハンコが押された文書を用意しなければならない。

 次に羽田か成田につきガイドブックに従って電車に乗り馬喰町までたどり着く。そしてやはりガイドブックにあったホテルを探し当て、片言の英語でチェックインする。部屋に荷物を置き外へ食事に行く。ガイドブックにレストランの紹介もあるかもしれないが、それでも自分で見慣れないメニューを見、店員に指差しで注文する?それによほどの金持ちならいざ知らず、ほとんどの人は極力出費を抑えなければならないし、台湾の物価と日本の物価を比較せざるを得ない。自国ではなんなく行えていること、何の苦労も無く手に入る物がこちらでは何倍ものエネルギーと引き換えでないと出来ないことを知らされる。

 これまでにもたくさんの勇気ある台湾人達が日本への仕入れに挑戦し、多くの人が失敗していったことだろう。しかしそれに挑戦する人は絶える事なくつづき、少しづつ道ができネットワークが生まれる。その一つが台湾人仕入れ人の為の格安のホテルである。1回だけ私達もそのホテルに泊ったことがある。

 それは一つの大きい空間をパーティションで区切っただけで布団を二つ敷いたらいっぱいの小さな部屋だった。もちろん音も筒抜けで、通風が悪くノミ、シラミの類がいるらしくとても痒かった。共同のシャワーはあるのだが私は使う気にはならなかった。朝食付きなので翌朝行ってみると、そこは一般家庭の食堂と変わらない造りで、真ん中にちょっと大きめのテーブルがあり私達が入って行った時はすでに満員状態だった。自分でご飯や味噌汁をよそっていると、掻き込むように食べ終わった人達がいなくなり、そこへ座って自分たちも食べ始める。大皿の料理に手を伸ばしながらそっと観察してみる。


 誰も一言も発せず何も見ていない顔がテーブルの上に並んでいる。すでに皆戦闘モードでこれから向かう戦場で如何に戦うかに思いを巡らせているのだろう。とても朝ご飯を味わう余裕もなくさっさと掻き込み部屋に戻り私達も準備を始めたのだった。


 そして次に「海渡」「丸太屋」などの大きな卸へ出向き、台湾から持参した書類を提出すれば、いよいよ出陣だ。博労町にある小さな卸はその入館証をみせれば喜んで迎え入れてくれる。

 ここまでだって結構大変なのだが、さていよいよ店に入り極度の緊張状態の中見て回り自分の求めている服を探す。たとえ気に入った服をみつけても、別の色やサイズが欲しくなり、それを言葉の通じない店員さんに伝えなければならない。実はここがポイントなのである。
 現金で買い取り、台湾へ持って帰れば交換はできないのだ。言わば一発勝負なのだ。従って慎重に選びたいがそんな時間はない。手に取った服が果たしてどうなのか相談する相手もおらず、すべて自分で決めなければならない。自分に服選びのセンスがあったとしても、外国の様々なプレッシャーの中ではなかなかその力は発揮できないのである。

 

  そしてここが分かれ道なのである。

 

 ある人はそのプレッシャーに負け敗退、二度と日本へ仕入れに行かないという選択をし、おとなしく、台北仕入れし商売をつづけるだろうし、大部分の人がそうだろう。

 

 「四平街ママ」はしかし諦めなかった。人について付いて行ったらいじめられ、1人でいくにはプレッシャーが大きすぎる。そこで彼女は自分たちでチームを組んだらしい。台湾から日本へ仕入れに行く女性はほとんどがそうだと思う。そしてそれにはもう一つ別の大きなりゆうがある。