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45歳からの海外起業奮闘記 in 台湾

45歳で海外起業に挑戦 in 台灣 no:9

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早起きは三文の得!

「四平街ママとの学習の日々」

 「仕入れ 台湾から日本へ」

「馬喰町」

 馬喰町というのは日本一の衣料品関係の卸の集積地である。その真ん中を貫くように江戸通りが通っている。海渡はこの通りに面して卸街のほぼ中央に建っている。毎時に音楽とともに人形が出てくる時計がトレードマークの海渡本部ビル。その周囲にも何棟もの海渡ビルや駐所場も所有する馬喰町一の卸売会社である。

卸「海渡」

 台湾で服飾雑貨の仕事を始めて多くの人に「馬喰町に海渡あり」というのを何回も聞かされた。日本のことを外国の人に教えてもらうのは、悔しいような情けないような複雑な感じだったが、この業界で生きていくためには行ってみるしかない。そこで台湾から持参した書類を提出、手続きを済ませ入館証を手に入れた。

 入り口で渡されたバッジを胸に付けビルの中へ入ると、そこはまるでデパートのように明るく華やかで、しかもその種類と量の多さに圧倒されてしまった。女房は「ここは日本のデパートにも卸してるらしいよ。」と感心したように言った。そうかもしれないと私も思った。

 館内を見て回るとやはり何人も中国語を話している客とすれ違った。一番上の階から各階を見て回り1階まで辿り着くと、スーパーみたいに会計のレジが並んでいて、商品の入ったカートを推し、番号札を手にしたたくさんの人達が病院の待合室みたいな椅子に座って自分の順番が来るのを待っていた。かなりの 盛況ぶりだ。

 「海渡は旦那さんが日本人で奥さんが台湾人らしいよ。」と女房がいった。同じ台湾から来て商売を始め、こんな大成功を成し遂げた人の建てたビルを見つつ、お決まりの嫉妬にさいなまれながら自分たちの小ささを思い知るのだった。

 とは言えここで私達が仕入れたのはぬいぐるみなどの小物とトートバッグのような手提げ類だけで、衣服に関しては値段的に許容範囲の物で目に適うものはなく、素晴らしいと思えるものは高すぎてとても手が出なかった。 「他の台湾人達はどういう仕入れの仕方をしているのだろう?」と気になったが、それがわかったとてどうしようもないことだとも思った。自分達は別の道を行くしかないのだ。

 そしてそうなった。というのは「海渡王国」には 

”年100万円(正確な数字は覚えていない)以上買わなければ入館資格喪失”

 という厳しいルールがあったのだ。資格喪失してからそれを知り、なんとかならないかとその部署に相談にいったがどうにもならなかった。100万円というと月10万弱。私達は2か月に1回のペースで日本へ仕入れに来ていたので、20万円弱仕入れしなければならず、小物だけでこの金額に達するのは不可能だった。

 また女房が言うには、この縛りの対象は台湾人だけで日本人には適用されないらしい。女房の情報がどこまで正しいか分からないが、台湾人の女社長は何故同胞である台湾人の仕入れ客にだけそんな縛りを課すのだろうかと私は不思議に思った。それでもここが好きな(?)台湾人達はチームを組むことでこの数字をクリアしようと考えたのだ。

 四平街ママもやはり同じことをした。チームの全員がそれぞれ入館証を得るために手続きする必要はなく、一人が持っていれば他のメンバーは従業員という名目でもバッジがもらえるし、あるいは皆で一緒に行くのではなく別行動で入館証を使い回すというやり方もある。

 人に付いて初めて日本へ仕入れに行った時はいじめられた四平街ママは、どうやってかは知らないが、その後メンバーを探しチームを組み、仕入れができるようになった。台湾からここまで来るのに苦労の連続なのだが実はこれで終わりではない。最後の関門が待っているのだ。