damos blog

45歳からの海外起業奮闘記 in 台湾

かきまぜろ 水底を!日が差せば一粒一粒がかがやくだろう。

「地を這う男ー景美朝市」

  「トイレを出、改札の前を通り過ぎようとする時、まだ台湾に来てまもない頃、基隆夜市で目撃した出来事を思い出した。つづく」

 と前回を締めくくったが、

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foodpandaさん、配達ごご苦労様です。ubereatsに負けるな!


続かず、寄り道させていただきます。

 これは私が景美に女性用衣服小物販売の店(「ブティック」と一思いに表現したくてもできない有様)オープンする前、台北台北懸各地の朝市で日本で仕入れた物を売って暮らしていた頃の、つまり目にするすべての物がまだ新鮮で刺激的だった頃のことである。

 私はトイレか買い物でどこかへ行って来たのだと思う。女房が一人で店番をしている場所へ戻ろうと、少し広い通りからちょっと狭い景美朝市で一番人が多くごったがえしている通りへ入りかけた時、急に私の前の人垣が割れた。

 そして、目に飛び込んできたのは、地べたを這う男の姿だった。肌はどす黒く髪はぼさぼさで両手と両足に薄汚れて黄ばんだ厚手のサポーターを巻いたパンツ一丁の男が四角い木で出来た魚箱のような物を押し、這いながら私の方へ向かって来ていた。

 日本ではあり得ないこの衝撃の光景に驚いた。

  それと同時に、暮れのアメ横並みに混雑する人混みの中を匍匐前進する男の妨げにならないよう避けつつも、買い物モードの真剣な表情を崩すことなく前へ進み、男の驚異的なパフォーマンスに何の反応も示さない台湾人達にも驚いた。

 以後も何回かこのパフォーマンス男を見かけたが、訳あって私はこの景美を出たり、入ったりし、20年たった今はもう見かけない。彼がどうなったかは知らない。

「基隆夜市」

 さて基隆の話をしよう。ここは今は基隆夜市で有名だが、日本統治時代には日本軍の軍港が置かれ、日本からの物質がたくさん入って来ていたようだ。日本軍が去った後も日本の女性服や小物で商売している店が残っている。という情報をお客から教えてもらい、視察に来た。

 台北から基隆へは電車とバスの交通手段があり、最初はよく分からず電車を使ったが、後からは本数が多く、遅くまで運行しているバスに乗るようになった。所要時間は40分ぐらいだ。

 何度もここに通ううち、台北とその周辺の夜市の中では私の一番好きな夜市になり、はしごする食べ物の屋台の順番も次第に決まっていった。だがその日はよっぽど腹が減っていたのか、それともこの夜市に通い始めのころだったのかもしれない。

「忍者男出現」

 駅のほうから歩いて来て、基隆夜市の入り口付近の道の真ん中で営業している麺類の屋台に目が留まった。4、5人掛けの木の椅子に座ったカップルがちょうど立ち上がりお金を払って立ち去ろうとしていた。4、5人掛けの椅子に4人はちょっときついから、「ちょうどよかった。」と思ったその時だった。

 髪の長い黒づくめの男が忍者よりも早く忍び寄り、屋台の台の上のカップルが使った箸を掴むや否や、どんぶり内の残された実と汁を人間業とは思えないようなスピードで口に放り込んで去って行った。

 電光石火のスピードで演じられたパフォーマンスを気付かぬ振りをして洗い物をしていた店主の表情はとても緊張しているように見えた。

 「お客さんが帰ってしまわぬうちに、早く食べて消えてくれ。」とその表情は言っているように思え、そしてきっとこれがはじめてのことではないのだろうとも私は考えた。