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45歳からの海外起業奮闘記 in 台湾

45歳で海外起業に挑戦 in 台灣 no:11

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疲れた!一休み!

「四平街ママとの学習の日々」

仕入 in 日本」

 台北というのはシンガポールほど小さ過ぎず、東京ほど大きすぎず、私にとってはちょうどいいコンパクトシティーだと思う。だからびっくりするほどの料金を請求されることなく貧乏性の私でもタクシーを利用することができる。

 また台北は盆地でほぼ平らなので自転車での移動も苦にならず、近年「遊バイク」という安く利用できる自転車と自転車専用道も整備され、ますます便利になっている。

「二昔、20年前の台北

 新しく日本服飾雑貨で残り半分の人生を切り開こうと目論む半外国人半現地人コンビの私達からすると、2000年ごろの台北は競争相手が多すぎる印象だった。

 日本から持ち込まれた服や小物、おもちゃなどが溢れかえり、あちこちで同じものを見かけることもしばしばだった。

 同じ物が売られているということは、それが人気がある、よく売れるということであるが、「あそこはいくらだった。」だの、「あそこはもっと安かった。」だのと、必ずお客に値切られることにもなる。

 そうならないためには仕入れを工夫するしかない。

‘’かぶらない仕入れ‘’を目指しての行き当たりばったりの仕入行脚。

 台湾から日本への仕入の場合、大阪と東京2つのルートがあり、どちらも行くという人もいるかもしれないが、どちらへ行くかは大体決まっているようだ。私の場合、東京生活が長く、土地勘もあるし、神奈川に家があるので当然東京で仕入することになった。

 それでもやはり興味があり、東京へ行く前に1回だけ大阪に仕入に行ったことがあるが、どうも慣れず、その後は行っていない。大阪の卸問屋街の地名は忘れた。東京は言わずと知れた馬喰町だが、多くの台湾仕入れ人達もここを目指して来る。

「独自の仕入れルート

 バッティングを恐れた私達は、問屋街の外へ打って出ることにした。と言うと大袈裟だが、結果的には間違ってなかったし、運も味方してくれた。

 しかしそれには非効率という欠点もあった。お客からの情報によると、多くの台湾仕入れ人達は馬喰町内だけでホテル、食事、そして仕入れが完結するので,4,5日の日程で済むらしい。

 私達は最初は9日間の日程だった。いくらなんでも長過ぎると私は反対したが、女房は聞きいれなかった。その後結局一週間に落ち着いた。

 なにしろ20年も前のことなので時系列では前後してしまうかもしれない。私達の家は住所で言えば神奈川県座間市で、最寄り駅は小田急相模原駅である。

 成田飛行場から成田エクスプレスで新宿へ出、ここで小田急線の一番速い電車(名称は各鉄道会社で違う、忘れてしまった。)に乗り、相模大野駅で各駅停車の電車に乗り換え、次の小田急相模原駅で下車し、タクシーに乗って10分弱でやっと我が家に到着。成田から合計3時間ぐらいだろうか。

 この頃私達が使っていた(というより、旅行代理店から手配された)のはシンガポール航空で、日本の家につくのはいつも夜遅くで、まずやるべきは郵便物のチェックだ。次の朝はそれを処理し、近所の店を回ることになる。

 今思うと、私達の仕入方法は無謀だったと思う。まったくの素人で業界の常識がなかったからこそ、こんなことが出来たのだろうと思う。それに45歳で仕事も辞め、貯金もなく、住宅ローンは重くのしかかり、ただ頼りだったのは失業保険だった。 

 正に背水の陣だからこそ、ああすべき、こうすべきなどと余計なことを考える余裕もなく、行動出来たのだ。

 仕入れ日程は7日間だが、安い航空券を使っているので、初日は台湾から日本への移動だけで終わり、最終日は神奈川の自宅から成田そして台湾への移動で消えてしまう。実質5日間。無駄のないルート選定が求められる。

 地元小田急相模原駅には私の住宅ローンを組んだ銀行もあり、ここを起点に走り回ることになる。近くのイトーヨーカ堂。ここは1階がスーパー、2階が衣料雑貨で小さいので直ぐに終了。

 そして町田へ。混んでさえいなければ車で15分ほどの距離だが、ここは東京都でJR横浜線小田急線が乗り入れ、乗降客も多く、小田急と東急の二つのデパートが競い合い、他に東急ハンズ、スーパー西友もあり、なかなか賑やかな街だ。

 デパートは高すぎて仕入れには使えず、スーパー西友の衣服売り場も小さすぎ、ただ商店街の中にある一軒の店ではいつも良い買い物が出来た。

私にとっての「いい買い物」とは、

「安く仕入れ出来て、高く売れる物」

である。

しかし残念ながら、しばらくしてこの店は閉店してしまった。

正に中国語でいうところの「好景不長」なのだ。