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45歳からの海外起業奮闘記 in 台湾

45歳で海外起業に挑戦 in 台灣 №:13

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基地

「四平街ママとの学習の日々」

仕入れー日本」

「国道16号沿線」

 日本での私の住所は「神奈川県座間市」で、その後に「相模が丘」とつづく。それに家の場所は相模原市との境界近くで、最寄りの駅も「小田急相模原駅」なので私には「座間市民」という意識はほぼない。というより、(「なんなら」最近よく聞くこの言葉、気になる。)相模原市民?というわけでもない。

 九州のど田舎から上京し、何度も引っ越しし、最後にここに家を建てたが、東京へ出勤し寝に帰るだけの生活。子供もいないので地元の催しに参加したこともなく、家を建てて確か10年で台灣と日本の往復生活が始まったので、なおさらここに根付く機会もなくなった。

 商売を始めたら、さらにここは家というより事務所、いや基地のようなものになった。朝獲物を探しに車で出かけ、夜満タンの荷物を載せて帰って来、夜中まで獲物の処理をして寝るのである。

 そしてまた朝になったらまず今日のルートを考えつつ近所のセブンイレブンの駐車場にはいり、朝ご飯を調達し、運転担当の私としては車を走らせながら食べたいのだが、女房は5分で済むんだから止まって食べようという。東京へ向かう場合は時間が読めないので運転しながら、サンドイッチを頬張ることが多かった。

相模大野駅

 NO:12で町田と八王子のことを書いたが、この国道16号ルートには他にも町田の隣の相模大野駅がある。新宿から小田急の一番速い電車だと町田の次に止まるのがこの駅で、所要時間40分ぐらいの完全な東京通勤圏である。またここで小田急江ノ島方面と箱根湯本方面へと別れる分岐点なのだ。

 朝のラッシュは相当なものだろうと思う。私は会社の車で出勤していたので、幸いその苦労は味わわずに済んだ。会社の車を使っていたのは私が偉かったからではなく、仕事上どうしても車が必要だったというだけだ。それどころか私は中途入社のぺえぺえーだった。会社も小さかったが、だから45になったときなんの未練もなく辞めることが出来たのだ。

 さて相模大野には伊勢丹デパートがある。「なんでこんなところに伊勢丹が?」と私はいつも不思議に思っていた。中に入ってみても新宿ほどの派手さはないし、少なくとも貧乏人の私は魅力を感じず、仕入れにもつかえなかった。

「安売り店 T ]

 ただ駅ビルのなかにはテナントが入っていたが、数は多くなく時間が余ればちょっと寄ってみるぐらいのところだった。それよりも実は町田と16号のヨーカドーとイオンモールの間に一軒ぽつんと、大きくはないが私たちにとっては重要な店 T がある。私の家から町田により、夜7時で閉まるこの T を通り、最後にフードコートも充実しているヨーカドーとイオンモールで閉店ぎりぎりまで粘るのだった。

女房が今でも使っているこの T 店にはあちこちの有名店で売り切れなかったようなメーカー品なんかも置いていて、すごく安く買えるのだ。100円200円から500円、高くても1000円か2000円ぐらいの商品がほとんどなので、一般客でも結構たくさん買っているのだが、私達が買うのはその比ではなく、ほかの人を待たせるのは悪いし、またあまりの多さに好奇の目で見られるのも嫌なので、なるべく客が並んでいない時を狙って支払いをしていた。

 レジのすぐそばのドアーを出たところが駐車場なので、荷物を運ぶのも楽だったし、店員さんも余計なことは一切聞かなかった。ここのトイレは店のなかではなく、駐車場に面した店の建物の外側にある。車を停めてから私はいつもトイレを済ませてから店に入るのだが、ある日私はここである人物と遭遇するのだが、それはもっとあとで話すことにする。