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45歳からの海外起業奮闘記 in 台湾

Kakimazero 水底を❕ 日が差せば輝くだろう、一粒一粒が。NO:5

 

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水虫特効薬

「とうとう、ついに、どうしても、なんでも、やっと、やれやれ、なんだかんだ、結局、オーマイガー、、、水虫が治った話。」

 Tさん、お元気ですか?今何処に住んでおられるのでしょうか?あなたのことですから、結婚し子供も出来、普通に幸せな暮らしをされていることと思います。

 かたや私はといえば、台湾に流れ着き、不幸せ?ふしだら?不似合い?不健康?(すいません。年のせいか?風邪のせいか?言葉も定まりません。)とにかくまあ何とか生活させてもらっています。

武蔵小山

 Tさん、あなたと会ったのは東京は東急目蒲線(今はかなりの路線変更があり、昔とは違っているようですね。)の武蔵小山駅ちかくの新聞販売店でした。

 九州の山の中から出て来て、反抗期も経験せず、童貞の私にとって「新聞販売店」はあまりに刺激的で、手に負えず、武蔵小山は三軒目でした。

 一軒目は板橋区で、日本刀を持ち出してきては、刀を抜いて私達に見せつけるのがここのおやじで、純真な私にはそれが脅しなのかなんなのか見当がつかず、ただ恐怖でした。

 この店で働いているのは、大学生、大学をドロップアウトした人と、「専業」と呼ばれる新聞配達でメシを食っている人などがいました。その中でも私が今でも覚えているのは、いつもスカーフを首に巻いておしゃれなイケメンおじさんです。

 ある日いつものように早朝販売店に行くと、このイケメンおじさんが店の外の端っこの方で誰かと真剣な表情で話していました。どういう訳かこのシーンをはっきりと覚えています。

 そのとき傍にいたドロップアウトの先輩が「また誰かの女に手をだしたんだろ。」とあっさりと言いました。そう言えば、イケメンおじさんと対峙しているのはヤクザっぽいようでした。

 どれくらいたってからでしょうか?ある朝配達が終わってから、私はこのドロップアウト先輩のアパートに行きました。そして、

「ここをやめようと思うんですけど、どうでしょうか?」

「そうだな。君にはここは合わんだろうな。」

ドロップアウト先輩の返事。

墨田区

私は早速本社にその旨電話し、次に行ったのが墨田区曳舟駅の近くにある販売所でした。この販売所のオヤジは刀を振り回すようなヤクザみたいな人ではなく、配達が終わってみんなで食事しながら、奥さん自慢が始まり、私達?童貞を前にして、

「俺たちは今でも毎週ラブホテルへ行ってるんだよ!」

などとぬけぬけという人でした。このオヤジは顔がテカテカのちびで、奥さんはオヤジよりちょっと大きく小太りで、オヤジがラブホテル自慢をするたびに大きな奥さんの上にちょこんと乗るオヤジの姿を想像してしまうのでした。

 この奥さんが出す朝食は決まってご飯に納豆と漬物だけで、九州育ちで納豆を食べたことのない私は苦労しましたが、納豆に生玉子と刻んだネギとからしそれに醤油をかき混ぜ食べました。人間慣れる物ですね。

武蔵小山

 さて、何が原因かは私も覚えていませんが、この墨田区の販売所もまもなくやめ、ついにTさんと会った武蔵小山の販売所に来たのです。ここもなかなかの所でした。

 だって、販売所のオヤジ一家が夜逃げしていなくなったんですから。それで急遽やって来たのがチンピラみたいで、どちらも悪そうな子分が二人とヤンキー姉さんみたいな奥さんのような愛人のような女性というメンバーで、時がたち色んな経験をしていたとは言え、やはり怖かったですね。

 販売所がこんな状態で中で働いていた人間の入れ替わりも激しく、私もだんだんやる気をなくしていました。それでも、K大学の卓球部で活躍していたTさんは体もがっしりし、このチンピラグループを恐れない態度に、私は尊敬の念を抱いていました。

 Tさんあなたはよく私を販売所近くの卓球場に誘ってくれましたね。田舎の友達の家に卓球台があり、そこでやった経験があったので、Tさんは上手だとほめてくれましたね。これは私にとって本当にほっとできる貴重な時間でした。

 自分の田舎の北海道で体育の先生になることを目指して勉強しておられたTさん、きっと生まれ育った所で先生になられ、今頃は退職なさってお孫さんたちに囲まれ幸せな日々を送っておられると思います。

 Tさん、覚えておられますか?ある日あなたは試合に履いていく靴下がないと言って私のを借りていかれました。もちろん私は喜んでお貸しし、翌日あなたは返してくださいました。

それから私達は別々の道を歩み、40年以上の時が経ちました。体も心も屈強だったあなたはきっと立派な人生を歩まれたことでしょうね。

 実はTさん、あなたが返された私の白い靴下にはあなたのおみやげがついていて、今日まで私とともにありました。へたれの私はへたれた人生を送り、流れ流れて台湾にたどり着きました。

 へたれに40年間付きまとってくれたあなたの置き土産 ‘’水虫‘’ (中国語では ‘’香港脚‘’ と言いますが、)が上の写真の薬を服用したら、あっさりとなおりました。

 治ったら何故か当時を思い出し、こんなものを書いてしまいました。あなたがこれを発見してくださったらなと思います。それではさようなら。