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45歳からの海外起業奮闘記 in 台湾

45歳で海外起業に挑戦 in 台湾 no:1

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おいしいパンの焼きあがり!


海外起業

 

 海外の会社で働くのではなく、自分で会社を興そうとする時、皆さんはどう考えるだろう?私は漠然と小さな貿易会社をイメージしていた。日本人が日本で会社を興し、海外の商品を輸入し販売するのではなく、「日本の物を台湾に輸入販売する商売=貿易」とだけ漠然と考え、具体的な商品を決めてはいなかった。貿易という言葉への憧れがあった。ただあまり資金もなかったので高いものを仕入れることはできず、自然と小物から始めることになった。おもちゃ、くつ、安い服、小物などだった。これでは利幅がちいさく、2人分の飛行機チケット、諸経費など捻出できないことはすぐわかった。そこで仕入れのメインを女性服に絞ったが、高い服を買うのは怖く、どうしても安物を買ってしまい、なかなかうまくいかなかった。この恐怖心を解消しなげれば前へは進めないとわかったので取った行動が市場調査だった。

 

台北市場調査

 この頃の台北は日本の婦人服、アクセサリーを売るブティックやおもちゃ、雑貨などを売る店であふれていた。この状況を目の当たりにして、「すでにこんなにたくさんの店が商売しているのに、私が参入する余地はあるのか?」という弱気と「これだけ店をやっているということは、それだけ需要があるということ。」という諦められない気持ちが私の中で戦っていた。貯金はなく家のローンを抱える私は前に進むしかなかった

 

 市場調査を始めた。お客様の情報などを頼りに、日本の物を売っている、台北市だけでなく、台北県(現在の新北市)の朝市、夜市、店舗などを見て回った。小物の店には男の私でも一人で入り商品を見て回ったが、ブティックなどの日本の女性服専門店には店の情報を盗みに来たという意識がぬぐえず、女房と二人で入るのも緊張した。女房が「この服どう?」などと中国語で聞いてくると、私が中国語で返事したらすぐばれるので「うん、うん」とだけ答えるように気をつけたりした。特徴があり綺麗な服は女房に値段も聞かせた。品質を確認するために服を裏返してタグを見るときは店員の視線を感じたがどうしてもやらなければならなかった。こうして私たちの頭の中には貴重なデータがたまっていったが、もちろんこれだけでは十分ではなかった。出会いがあった。