45歳で海外起業に挑戦 in 台灣 no:6
四平街ママとの商売学習の日々
「仕入れー台灣から日本へ」
四平街ママのところへ何度も通ううち次第に打ち解けて行き、彼女は服のことだけでなく仕入れについて、台北駅後ろ、市民大道の向こうに日本の女性服卸の店が集まる場所があり、そこで長年培った信用で後払いで日本から届いたばかりのスペシャルな服を誰よりも早く仕入れられるのだと教えてくれた。
「後払いで仕入れ」できたらこんなにいいことはない。まだ商売が軌道に乗らず日本へ仕入れに行くたび資金の準備に苦労していた私達は本当に羨ましいと思い、台北の卸へ行ってみた。
重慶北路という通りに面した地下1階地上2階たてのビル全体がほとんど舶来品を扱っていて、中でも日本の婦人服の店が多かった。特に2階は同じ日本製でもそれぞれに特徴をだし競い合っていた。ここに四平街ママも仕入れをしている店もあった。
それに私達の店があるビルの「ムーミンママ」と私達が呼んでいたオーナーもやはりこの中の別の店で買っているという情報を掴んでいた。
他店の情報は多いほどいいし、自分達のはなるべく漏れない方がいい。私達の店があるビルで一番長く日本の婦人服を売っている隣の店は日本人の私に見られ真似されるのを恐れたのか、茶色のカーテンで完全に窓を覆っていた。
そんなことをすれば客に商品が見えないのではと私なんかは思うのだが、女房が聞いた話によると彼らには大口の客がたくさんついていていい商売をしているという。事実、彼らが日本の仕入れから帰ってきた日には、前もって常連客には知らせていたのだろう、薄いベニヤ板の壁を通して賑わいが伝わって来たのを嫉妬と悔しさを感じながら聴いていたのを思い出す。
さて台北駅後ろの日本婦人服卸のビルにはその後も何回も通い、台北の客の好みや売れ筋などを必死に研究しようと試みた。ある時気に入った服があり試しに仕入れして見たことがある。
するとなんとうちの客にその服の仕入れ値を言い当てられてしまった。台北の卸では一般客でも入れるし買う事もできるというのを後で知った。それからは台北で仕入することはほとんどなくなったし、私達の日本での仕入れの仕方にも影響を与えた出来事だった。